助川町 すけがわちょう
  日立市助川町・鹿島町  国道6号

 「助川」の名は平安期の和名抄に郷名として記載されている古くから由緒のある土地だ。和名抄より昔の風土記にも書かれていて,『そこには,倭健命(ヤマトタケルノミコト)が皇后(大橘比売命)にここでお遇いしたので、「遇鹿(アフカ)」と命名した。のち国宰久米大夫の時に,川から鮭をはじめて獲ったため「助川」と改めた。鮭を土地の言葉で「須介[スケ]と呼んだ』と言う内容が記述されている。国宰久米大夫の時というのは斉明天皇・天智天皇期(655〜665年)。遇鹿(アフカ)は今では相賀町・会瀬町になっている。どこまで本当かはわからないが,助川は宮田川の古称であった。
 江戸時代は磐城相馬街道の宿場が置かれた。助川の本来の町域は広く,現在の旭町・鹿島町・神峰町1・幸町・平和町・若葉町・弁天町・城南町・高鈴町1〜2・会瀬町4という日立市中枢部は「助川」であった。JR日立駅も元は助川駅の名が付いていたが,現代となっては「助川」がこれだけ由緒や歴史のある地名であることを知る人はあまりいないだろう。ましては住居表示実施で助川と呼ばれる地域が狭められた。20万都市日立の中心部としての「助川地区」を広く認識して頂きたいと思います。
 もしも政令指定都市になったとしたら「助川区」と付けるのが相応しく,間違っても「中央区」などとしてはいけない・・・夢の話。





「日立二高前」





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となっている。










「国道245号入口」

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