幸久橋 さきくばし
 完成 昭和10年9月  橋長 284.9米  橋種 鋼単純鈑桁・RC単純T桁
 那珂町額田北郷
(現・那珂市)-常陸太田市上河合町  路線 国道349号(引退)
                 地図で確認

 那珂−常陸太田間の往来を長年に渡り支えてきた幸久橋は,橋脚に破損が見つかり,平成25年10月17日より通行止めとなった。その後の調査により修復困難と判断され引退となった。平成26年現在,久慈川の道路橋の中で3番目に古い橋であった。
 太田街道と称される国道349号の要を担ってきたが,平成10年に幸久大橋に一線を譲った。しかし,その後も国道指定を受け続け,主に常陸太田市街地に直結する橋として重宝した。
 平成23年3月の東日本大震災後は通行止めになったものの,同年8月には見事に再起した。しかしながら,前述の調査により,強い地震が発生した際の倒壊などの懸念があり,また,修復も困難との判断で引退となった。

 橋名について。明治13年,額田村と上河合村共同で久慈川へ橋が架けられることになった。しかし,橋名のことで争いが起きてしまう。この問題は県令(現在の県知事)にまで持ち込まれ,野口雨情の叔父である野口勝一に相談したところ,万葉集にある久慈川を詠った防人の丸子部佐壮の歌から「幸久」を推薦し,幸久橋に決定した。この後,上河合・下河合・藤田・島・粟原の5ヶ村合併の際の村名にもなった。<参考>常陸河川国道事務所・環境百科久慈川


 

常陸太田方面

↑直進が幸久大橋 左折が幸久橋。※現在,幸久橋は通行不可。













平成20年5月15日から重量制限が4t,制限速度が30キロになりました。






















↓ JR水郡線太田線 の橋梁







これより 常陸太田市 旧・幸久村















防人の歌碑

↓幸久橋とJR水郡線(太田線)久慈川橋梁

常陸太田側の渡河部は鋼単純鈑桁で,那珂側はRC単純T桁

↓昭和初期によく見られる橋脚

川床がだいぶ削られています。


水戸・那珂方面



































これより那珂町。旧・額田村。現・那珂市。








左に行くと幸久大橋でまた常陸太田へ

愛橋全集  久慈川全橋集

表紙目的地までが目的地(聡の館 別館)