岩井橋 いわいばし
  完成 昭和61年3月  橋長 173.1米
  山方町山方-山方町西野内  路線 県道29号常陸太田烏山線


  「岩井」というのは,ここの「山方」の旧地名。山方の地名が記録に出てくるのは慶長12年(1607年)。小貫郷岩井野村が舟生村・山方村・西野内村の3村に分かれとある。その前は小貫郡岩井村・久慈西小岩井村とある。その頃は久慈川の位置も今より東にあり,現在は川東にある西野内は川西にあったものと思われる。詳細な歴史関係は未調査だが,明治の大合併前後の西野内は「久慈郡西野内村」「久慈郡諸富野村」となっていて昭和の大合併で再び山方と一緒になった。
 その旧地名を復活採用した「岩井橋」の橋としての歴史は,当時の山方村と諸富野村を繋ぐ橋として大正9年に地獄橋が架けられたのが最初。2代目の鉄筋コンクリートの永久橋が完成したのは昭和3年2月。そして昭和61年現在の3代目に架け替えられたのだ。<広報やまがた・山方歴史民族資料館コーナー  参考>








久慈川下流方面

右折すると山方トンネル

 愛橋全集    久慈川全橋集


表紙目的地までが目的地(聡の館 別館)